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農と食を結ぶ情報誌「とさのうと」
Vol.17
澤野家に伝わっている「後世至宝書」。
近年、お寺の協力を得て表具したものです。
後世に伝えるべし。
室戸市吉良川町の西山台地でサツマイモの取材をしている時に聞いた古文書の存在。生産者の澤野啓助さん宅に、代々伝わってきた「後世至宝書」という書物のことです。古文書の存在を澤野さんが知ったのは5年ほど前のこと。西山台地開拓200年祭の年、氏神様の八幡宮境内へ皆で石碑を建てました。近所の歴史好きな人が、澤野さんの家に書物があるはずだと言うので探したら、本当に巻物が見つかったのです。

ここ西山台地は200年前の文化年代に、芸西の和食村から13名が開拓に入りました。歩けば一日がかりの距離です。澤野さんの仲間のサツマイモ生産者は多くが彼らの子孫。芸西を出たのは、ウンカの被害でお米が作れなくなったから。西山と窪川へ東西に分かれて入植に出ました。「米を食いたかったら窪川へ、芋を食いたければ西山へ行け」と言われたそうです。
西山八幡宮境内にある開拓200年の記念碑。
西山台地の歴史もつづられています。
古文書をすんなり読むのは難しいのですが、最近発行された「吉良川町歴史めぐり」の冊子に内容が載っています。それによると、藩政時代の西山は深尾丹波守の所領でした。巻末には深尾丹波様の言として、「農業第一にして一同睦まじく」と書かれています。

古文書を書いたのは入植者の頭を務めた山本重助で、澤野家は開拓団を監視していた役人でした。深尾家の命を受けて百姓取締役の任を帯びて入山した澤野重七は高見役兼組頭であり、米倉番も兼ねていました。

西山台地への入植は各地から行われましたが、山野の開墾や鳥獣の害などの困難に耐えきれず去って行った人たちも多かったそうです。ただ和食村民のみが、互いに励まし合い、戒め合って不退転の決意で開拓を続けた結果、ようやく希望が見えてきたのだということも書かれています。

明治になると入作者が増えて開拓も進みました。現在の西山台地は太平洋を望む高台に農地がゆったりと広がっています。移住した先祖たちの努力と忍耐によって農地ができたこと、彼らが代々仲良く頑張ってくれたおかげで県内有数のサツマイモ産地となったことを忘れない、西山台地の人々。200年の絆が、甘いサツマイモとなって実っているかのようです。